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2009年12月28日 (月)

高尾山薬王院へお礼参り

昨年の12月26日に退院してから一年をなんとか命を紡いできました。ということもあって、一年ぶりで26日に高尾山薬王院へお礼のご挨拶に行ってきました。家を出たときは曇っていた空も、高尾山の麓に着く頃には晴れて気持ちの良い冬晴れの日になりました。麓から山の上までは日本一急勾配があるケーブルカーで約7分ほど。そこから薬王院までは舗装された参道を15分ほど歩きます。杉並木の緩やかな登り路ですが、以前は10分もかからずに歩いていたのですが、今回は無理をせずゆっくりと。薬王院は真言宗智山派の寺院で有喜寺という名前です。お寺はご本堂・ご本社・奥の院の3つの寺社があって、今回は階段を上がってご本堂を通過してまた階段を上りご本社までなんとか上ることが出来ました。奥の院まではさらに上らなくてはならないのであきらめました。いやーきつかったですねえ。ご本社とご本堂に一年の御礼の礼拝をさせて頂きました。いつものように、薬王院茶を求めてまいりましたので一月の例会時持ってゆきますね。皆さまに見守って頂き、お陰様で12月28日に満69歳となりました。ありがとうございました。良い新年をお迎えになりますように。(重田)


2009年12月24日 (木)

風神の力

Photo 僕が住んでいるところは、山の中腹なので、風の強さは尋常ではありません。平地で吹く風も、ここまで吹き上がってくると1.5倍ぐらいになるんじゃないかな。こちらに引っ越してきた頃は、あまりの強風に、窓ガラスが壊れるんじゃないかと恐れたものでした。家も揺れるし、心も揺れます。TV画面も雑音だらけ。昨日も相当強い風が吹いたんですが、昨日の風は思いがけない仕事をしていってくれました。この時期になると、ここは山の中なので落ち葉がものすごくて庭中に積もっているんですが、昨日の風がきれいさっぱり天然掃除してくれたのです。風の神様ごくろうさんといったところです。(菅)

2009年12月19日 (土)

ワークショップ体験記

今日エニアグラム繋がりで知り合った、心理学仲間のワークショップに行って来た。
「システム・ファミリー・コンステレーション」と言って、家族療法の1種と捉えても良いが、
(私の個人的感想としては)深~い深層心理学の科学的側面と、スピリチュアルな側面が両方ある
興味深い心理学的手法だと思う。
人は自分の家族(先祖)の抱えた問題(不慮の死・自殺・病・運命等)を無意識に償おうとして、
「魂のもつれ」が起き、それが問題を引き起こすと言う考え方。
自分の家族(何世代も遡ったご先祖様)の「生老病死」を考えた時、満足のいくそれを送った人はほとんど
いないと思えるわけで、ほんと深いなあと思った1日でした。
ちょっと消化不良なので、また体験記を載せたいと思います。
山崎厚志

重田正紀さんの自己紹介

1940年(昭和15年)12月東京生まれ。亡くなった両親の話では誕生時、母が高齢者出産の初産で私が低体重児だったため医師からは、子どものことはあきらめなさいと言われたとか。また5歳の時に自家中毒にかかり、この時も医師からあきらめろと言われたようで、人生は波乱の出だしだったようです。会社員になって39歳でうつ病になり1年間会社務めをしながら自力で脱出後退職。40歳の時の至高体験で生き方、価値基準ががらっと変わりました。その後いくつかの仕事を転々としながら訴訟に巻き込まれたり企業倒産の後始末をしたりヴィパッサナー瞑想に参加したりという体験を重ねました。20082回の脳梗塞発症で生死について学び、現在は、地元でボランティア活動の日々を送っています。今までの体験が活動に全て活きている事に感謝し、何事もない日々が本当に幸せなのだなあと感じるこのごろです。

草野享子(Kyoko Kusano)さんの自己紹介

国立音楽大学を卒業後、いろいろな所で仕事をしましたが、ひとつも完 結できないというか納得できないという状態が現在まで続いています。 そんな中、子育てのつまずきから、養育相談機関をあれこれ訊ねました が、ここでも納得できず、とりあえず妖しくない(?)と思われるアド ラー心理学を学びました。子育てはそれなりになんとか終わり、いつの 間にか自分さがしのために心理学に埋没・・・・そして、どんどん灰汁 が強くなってきている自分を発見しているこの頃です。
 現在、AIU CSPP(妖しくない臨床心理学大学院です、、、念の ため)に在学。
一応、この会の副会長ということです。・・・未熟者ですみません

山崎厚志さんの自己紹介

1964年 千葉の八街市に生まれる。
大学卒業後、地元の信用金庫に約3年勤務。
退社後約1年間オーストラリア留学、帰国後船舶関係の仕事に就く。
一方個人的問題志向から心理学を勉強するも、徐々にカウンセラー志望が強くなり
2006年、C+F研究所エニアグラムトレーニング修了。
2007年、日本総合カウンセリング・カウンセラー養成講座修了。認定2級心理カウンセラー合格。
自殺者が増えている昨今、メンタル面でサポートし合えるコミュニティ作りに現在関心有り。

2009年12月18日 (金)

伊豆の群発地震

006 今日は良く晴れ上がって」いますが、昨夜からまた妻にとって恐怖の群発地震がはじまりました。今、これを書いている最中にも小さいのがきました。僕は案外平気で眠れるのですが、ちょっとでも揺れるたびに妻が跳ね起き、まるで夢遊病者みたいにどこに行くのかうろうろしだすので、おちおち寝ていられません。せっかくの首ホットンの効果も帳消しです。興味深いのは、昨夜から何十回も揺れているのに、TVのニュースで群発地震がはじまったと誰も言わないことです。年末を控え、稼ぎ時のこの時期、群発地震がはじまったとなると、客足に大きな影響が出てしまうからでしょうね。(菅)

2009年12月17日 (木)

共感の磁場

 生老病死について語る会をはじめてからほぼ三年になる。日本トランスパーソナル学会の活動の一環としてはじめたものだが、わたしが学会の中心からしりぞいた今も、毎月一回の月例会を欠かさずにつづけている。参加者は編集者、介護施設の従業員、サラリーマン、大学院生、フリー・ライター、人形作家などいろいろである。

 最近、六〇代後半の男性で、会を一緒に立ち上げたメンバーの一人が脳梗塞で倒れた。幸い軽い梗塞だったので、今では以前からやっている民生委員の仕事に復帰して活発に活動しているが、強いクスリのせいで体重がかなり落ち、疲れやすくなったと本人はこぼしている。倒れる前はとても元気な方だったので、はたから見てもその変貌ぶりがわかる。まだ六〇代でも、倒れたときには、さすがに死を強く意識したらしく、瞑想体験が豊富であるにもかかわらず、自分の身に起ったことを受け止められるようになるまで、だいぶ葛藤したようである。わたしたちの集まりで、その辺の心の揺れ動きを正直に語ってもらえたことは、メンバーの方々にとってすこぶる有意義なことだった。

 話を聞いて強く印象に残ったのは、家族が心配するあまり、ほっとできるはずの家庭の中で、疲れたそぶりを見せられないということだった。疲れて横になろうものなら、家人が心配して、すぐに医者のところに行くようせかされるからだ。とくに彼は長い間、一家の大黒柱としての役割を果たしてきただけに、家族の心配もひとしおなのだろう。だが、不意の病に倒れ、以前の元気を失ってしまった人にとって、家庭の中で弱った自分を素直に表現できないのはとてもつらいことである。わたし自身、三〇代で不眠症に陥り、ほとんど眠れなくなったとき、そのことを痛感したことがある。

 ただ、この方のそうした体験は、他方で思わぬ変化をもたらした。民生委員として相談に乗っている方たちとの関係が劇的に変わったのだ。病に倒れる以前は、彼が親身になって話を聞いてやろうとしても、なかなか心を開いてくれず、自分の気持ちをオープンに話してくれる人は少なかった。ところが、なぜかは分からないが、梗塞で倒れた後は、孤独な老人たちが気さくに話をしてくれるようになったというのである。

 それは彼の存在の仕方が変わったからだと思う。事実、以前人一倍歯切れのよかった彼の口調はずいぶん穏やかなものになったし、たたずまいそのものがソフトになった。つまり彼から発散するエネルギーの質が変わり、見るからに受容的になったのだ。そのことが他人の警戒心を解き、心を開かせる要因になっているのである。別の言い方をすれば、さまざまな不安や心配、痛みを経験することで、彼の中に弱者への共感の磁場が開け、人を安心させているということだ。癒やしを引き起こすのは、カウンセラーやセラピストのテクニックではなく、そのような共感の磁場なのだということを、彼の体験を通して改めて思い知らされた気分だった。

 最近、わたしが翻訳して出版した『苦しみを選ぶ「勇敢な魂」』(ロバート・シュワルツ著、ソフトバンク・クリエイティブ)の中に登場するクリスティーナという女性は、大学の事務をしていた若いときに爆弾テロに巻き込まれて大怪我を負った。だが、それがきっかけで深遠な霊的体験に導かれ、一〇回に及ぶ手術にもめげずに大学で言語病理学の博士号を取得し、今では神経学的な障害の治癒の分野でリーダー的な存在になっているという。彼女の人生の軌跡は、著者も指摘しているように、事故という一見不幸な出来事が、実は当人の霊的な成長を促し、共感の磁場を広げる誘因になっていることを示す端的な例ではないだろうか。

生長の家で発行している『光の泉』に掲載されたエッセーです。(菅)

 

2009年12月16日 (水)

ガーデンだより パイナップルセージ

003

この時期、我が家のガーデンは閑散としているので、庭の片隅に咲くパイナップルセージが、自己主張がさほど強くない可憐な花であるにもかかわらず、「わたし見てちょうだい」と言わんばかりに庭に君臨しています。サルビア属シソ科の花で原産地はメキシコ、正式名はサルビア・エレガンス、花言葉は「家庭の幸福」だそうです。葉っぱがパイナップルの匂いがするというのでこの名前がつけられたのですが、匂いに鈍感な僕の鼻には、リンゴのような匂いがします。(菅)

2009年12月14日 (月)

SOLA第一回ワークショップの報告

Sola_001 SOLAの一回目のワークショップが12日にヒューマンギルドで開催されました。ファシリテーターは、『光の手』を書いたバーバラ・ブレナンの学校で学んでいる最中の川村一代さんです。総勢12名の参加者で、「自分を感じる」ことをテーマにいろいろなワークを行いました。

普段、身体にあまり気を使わない僕としては、いい気晴らしの機会になりました。とくに印象的だったのは、川村さんがグラウンディングというものを重視していた点です。中腰の姿勢で地面とつながるイメージングをしたのですが、結構効きました。とても素朴なワークが多かったのですが、変に癒しとかが強調されて
いない分、気が楽でした。川村さん、ありがとうございました。(菅)

2009年12月11日 (金)

ネット翻訳塾をはじめました

前回の飲み会の折に少し触れたのですが、ぼちぼちと要望があるので、ネット翻訳塾をはじめることにしました。出版翻訳をしたいという方を応援するための塾です。じっくり腰をすえて
翻訳をしてみたいという方、こんな本を是非翻訳して出版してみたいという方はご相談ください。少人数でじっくりやってみたいと思っています。実は出版業界は急速に電子化へと進んでおり、そうした流れに対応した翻訳グループを作ってみたいと前々から思っていたのです。
ネットにはパブリック・ドメイン(著作権フリー)の電子本が溢れていますからね。出版の形態もこれから劇的に変わってくるでしょうね。とにかく出版翻訳を目指す方のお役に立てればいいと思っています。詳しい応募方法は僕のサイトに掲載しています。(菅)

SOLAの会のみなさまへ

明日、ワークショップをさせていただきます、川村です。
どうぞ宜しくお願いいたします。
参加者の方は、同意書などを拝見され、驚かれたかたもいるのではないかと思います。
通常、参加するとは受動的なものだったりしますしね。
でも、参加者のお一人お一人がその「場」には必要で
一人一人の交流、相互関係、意識が集まり一つの「場」が生まれます。
そのことを感じていただけばと思います。
だからといって、前向きである必要も、ヤル気を出す必要もありません(笑)
その瞬間、瞬間、あなたご自身に正直であってください。
その瞬間、瞬間に自分が何を感じているのか?
を体感するワークショップになればと思います。
私はまったくもって「完璧」とはほど遠い人間です。
けれど、宇宙は不完全の中の完全ということを信じています。
何がおこるかは、私も予想もしていませんし
蓋をあけてみないとわかりません。
ただ神聖なる肯定的な「意図」を持ち、
その場にのぞみ、その流れに委ね(サレンダー)したいと思っています。
(この「意図」は英語ではwillではなく intentionです)
みなさんと一緒に、一つの「時と空間」をご一緒できることを
楽しみにしております。
どうぞ宜しくお願い致します。
2009年12月11日(金曜) 川村一代

2009年12月10日 (木)

Alex Greyの絵画

Mirror14 エネルギーという観点から人間のさまざまな事象を描きつづけているアメリカの画家、Alex Greyの絵です。印象的な絵がたくさん彼のサイトに掲載されています。

 「捨てる」「食べない」「生まない」時代

 物が溢れています。よほど気をつけていないと、身の回りがガラクタだらけになり、ゴミの山に埋まってしまいます。今は、獲得する技術より、捨てる技術が必要な時代だよね。カレン・キングストンの『ガラクタ捨てれば自分が見える―風水整理術入門』という本が超ロングセラーになっているのも当然なような気がします。

 食べることだってそうです。いかに食べないかが今や問われる時代です。いっぽうに食べ物がなくて死んでいく子どもがたくさんいるのに、食べ過ぎて、体重を減らすために苦労している人がたくさんいる。なんだか変。

「あなたはメタリック・シンドロームです。健全な肉体に戻すために、講習を受けてください」という知らせが、ガリガリに痩せていた三十数年前の結婚式のスーツがまだ着れる僕のところに送られてきました。冗談じゃないよ。いらないお世話だ! なんて思いながらも、講習会にでないと我が家まで押しかけてくるという脅し文句が書いてあったので、しかたなく行ってみると、みな恰幅が良い人ばかりで肩身の狭かったこと。胴回りを測定するというので、思いっきり腹を突き出してやりました。

 内閣府の調査によると、20代、30代の若者の6割が子どもを欲しくないと言っているそうです。これをどう考えるかは人それぞれでしょう。一概に困った傾向とばかりは言えないですよね。エコのことを考えると、人口が多すぎることは確かですから。でも、このま老人ばっかりが多くなっていったら、この国はどうなるのでしょうね。

 

2009年12月 9日 (水)

不眠解消グッズ

相変わらず、不眠で悩んでいます。寝る前に焼酎を3杯ほど飲んで眠るんですが、3時間後ぐらいに目覚めてしまい、眠れなくなります。しかたなくipodで睡眠に導く瞑想音楽のようなものを聴くのですが、さして効果はありません。先日、呼吸をすると変性意識状態になり眠りやすくなるの知っているので、布団の中でハアハア呼吸をしていたら、突然、隣で寝ていた妻が飛び起きて、「どうしたの、あなた?変な息してるわよ」と心配そうに言いました。いちいち事情を説明するのもめんどうなので、「なんでもない」と言って布団の中にもぐりこみました。やれやれといった感じです。家族というのは心配するマシーンのようなもので、そばではあまり突拍子のないことはできません。でも、ここ数日、ぐっすり眠れているんですよ。それは首ホットンというグッズのおかげです。ネルの布地でできた腹巻ならぬ首巻を首に巻いて、その中に温熱シートを呼ぶものを仕込むやつです。温度が40度ぐらいになり、6時間ぐらい持続します。僕は毎日コンピュータに向かって字ばっかり読んでいるので、目が疲れるだけではなく首がこってしまい、それが不眠の原因の一つになっているんです。だから、この温熱シートはよく効きます。市販の睡眠導入剤なんかよりはるかに効果的なので、不眠がちな方は試してみてください。(菅)

首ホットン

2009年12月 6日 (日)

あやかりたい男性

2000009724 これまでたくさんの男性とめぐりあってきましたが、あやかりたいと思う男性はあまりいません。でも、先ごろ亡くなった俳優の森繁久弥はあやかりたい男性の一人です。彼が人と話すときの、あの独特の間の取り方。あれは完全に自分が確立していないとできない間の取り方です。本気なのかとぼけているのか分からない彼の話し方を聞いていると、自己を確立した人だけが持てる自由さを感じるのです。それは虚実の狭間にいて、いつでもあらゆる方向に踏み出せる自由さです。僕なんかつい話しの流れに引きずりこまれてしまい、しゃべっているようだけど、ただロジックに踊らされていることが多いんです。僕だけじゃなくて、ほとんどの人がそうであるような気がします。既製品の言葉を鸚鵡返ししているだけで、そのことにも気づいていない人が多い。スピリチュアリティやエコロジーにはまっている人たちも例外ではありません。自分の言葉をもちたいものです。

 僕が森繁にあやかりたいと思うもう一つの理由は、何をしても、何を言っても、女性に憎まれない点です。彼は若いとき、とにかくかたっぱしから女性を口説いていたと言われています。それをすべて笑い話にしてしまうしたたかさを、一体どうして培ったのでしょう。うらやましい限りです。人間のエロスは、当人の心の持ち方で、うしろめたいものにもなりうるし、笑えるものにもなりえます。でも、ただ開けっぴろげだけでも、エロスがもっている神秘的なあやうさは表現されません。インターネットにポルノが氾濫していますが、エロは感じさせても、エロスを感じさせるものはほとんどありません。森繁のエロスとの関係は、やはり彼の人間性が反映されているのでしょう。

 とにかく森繁久弥には楽しませてもらいました。ご冥福をお祈りします。

                               菅靖彦

2009年12月 5日 (土)

グレゴリー・コルベールの写真

Image12 4大陸で行われた彼の写真展の入場者は1千万人を越えたそうです。写真がネットで公開されています。ashes and snowに掲載されています。

2009年12月 4日 (金)

まずは自己紹介から 菅靖彦

Dsc00539_17 会の代表をやっている菅靖彦です。

一九四七年生まれ、団塊世代の走りの年代です。還暦を過ぎているのですが、まったくピンときません。年を取るのは早いけれど、精神年齢はなかなか年を取らないようです。大病でもして、もっと身体が弱っていれば、違うかもしれませんが。幸い、悪いのは根性だけで、身体はすこぶる丈夫です。

 青春時代、カウンター・カルチャーに出会いました。学生運動とヒッピー。革命派と意識革命派。わたしはどちらかと言うと、後者に興味があり、ヒッピーの溜まり場だった国分寺のほら貝などにもよく行きました。たまたまわたしが勤めることになった新宿歌舞伎町のライトハウスというロック喫茶も、ヒッピー、売れない音楽家や芸術家、ダンサー、フーテン、ストリッパー、政治活動家などの溜まり場でした。偶然が重なってわたしはアルバイトしはじめて半年もしないうちにその店のマネージャーに抜擢されて、大学を卒業するまでの3年間、その店から三鷹にある大学に通いました。

 ライトハウスでの体験はわたしにとってきわめて衝撃的なものでした。そのすべてをお話しすることはとてもできませんが、肩書きが一切通用しない世界でどうやって自分を打ち出していけばいいかということをそこで学んだような気がします。ヤクザも頻繁に出入りするそうした世界を自分が学生の身分でしきっていたというのが、今だに信じられません。

 スピリチュアルなものへの興味がはじまったのもライトハウスだったと思います。音楽をやっている常連の客の一人から、カルロス・カスタネダの『ドン・ファンの教え』を紹介してもらって、むさぼり読んだのを覚えています。わたしの代表的な著作に『変性意識の舞台』(青土社)というタイトルの本がありますが、変性意識への興味が芽生えたのはこの頃(一九六〇年代末)からです。とにかく、わたしたちが日常見ている世界が、一つの世界の見え方にすぎず、意識が変われば、違った世界が見えてくるということに興奮を覚えたのです。

 大学を卒業してからわたしはしばらくの間、ヒッピーのような生活をしていました。小金を溜めては、ニューヨークやロスに渡って数ヶ月ぶらぶらすごし、帰国してアルバイトをするという生活です。今で言うフリーターですね。でも、フリーターも三〇過ぎると、やっぱりやりづらくなってきますよね。ある電気店の倉庫でアルバイトしたんですが、高卒の正社員がいて顎でつかわれるんですから。一度、フォークリストの運転を誤り、新品の電気洗濯機を五台壊してしまったときには、本当に惨めな気分でした。

 フリーター生活から脱皮するチャンスになったのは吉福伸逸さんとの出会いです。吉福さんの奥さんがたまたまわたしの大学の後輩で、間を取り持ってくれたのです。それからトランスパーソナル心理学の著作の翻訳をするようになり、呼吸によって意識を変容させ、無意識の素材を浮かび上がらせるホロトロピック・セラピーに関わるようになったのです。その後のことはおいおいこれから語っていくつもりです。

 

 

2009年12月 3日 (木)

この会の趣旨

この会は、自分の人生のストーリーや生老病死、スピリチュア リティについてオープンに話し合える場を作ることにより、充実し た人生を送るヒントを学ぶことを目的としています。発足して4年ほど経ちます。元々、日本トランスパーソナル学会の活動の一環としてはじめたものですが、現在は独立した会として運営されています。具体的には月1回の定例会の開催、講師やテキストを使った勉強会、ワークショップや合宿、その他、会報、出版など目的を達成する活動などを行っています。基本的に自由参加です。興味のある方はプロフィールにあるアドレス宛にメールをください。

                                          菅 靖彦

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