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2015年5月24日 (日)

吉福伸逸さんを偲んで

 吉福さんは私にとってメンターのような存在である。彼との出会いがなかったら、私の人生は今とはまったく違うものになっていただろう。
 はじめて吉福さんに会ったのは一九八〇年代初頭のこと。当時、彼はアメリカで出版されたニューサイエンスやトランスパーソナル心理学関連の本を系統立てて翻訳し、日本に紹介するプロジェクトを立ち上げていた。彼に誘われてそのプロジェクトに参加したのが、翻訳家としての第一歩となった。
 ケン・ウィルバーの『意識のスペクトル』を翻訳している最中、私は精神的に行き詰まり、極度の不眠症に陥った。今にして思えば、それは古い自分の枠組みを壊し、新しい枠組みを作り直すプロセスだったと分るが、当時は何がなんだか分らず、不安の中にいた。にもかかわらず、精神科医にも、睡眠薬にも頼らずに、そのプロセスを四、五年かけてやり終えることができたのは、吉福さんの助言があったからだ。もっとも、精神的な危機を乗り越えるのを助けられた人は、私以外にもたくさんいる。不眠症の体験を通して、私は「トランスパーソナル」の意味を理解するようになったし、必然的にセラピーの世界にも深く関わるようになった。
 ところで、吉福さんにもっともふさわしい肩書きとは何だろう? 「セラピスト」とか「翻訳家」という肩書きでよく呼ばれていたが、そんな肩書きには収まりきれない人である。彼はアカデミックな野心をまったく持っていなかったし、心理学や心理療法の権威者になろうともしていなかった。それどころか、どんな権威に寄り添うことも、自分が何らかの権威になることも、周到に避けていたように思う。晩年のことはよく分らないが、彼は一時南方への強い憧れを持っており、文明の発達していない南の島で庵を作って暮らすことを夢見ていた。どんな肩書きにも縛られない「自由」こそ、彼がもっとも大事にしていたものだった。
 と同時に彼から学んだのは、「友愛」の大切さである。ワークショップの会場となった河口湖周辺のホテルで、吉福さんを交えて、仲間と夜を徹して語り合った日々のことは今でも鮮明に覚えている。それはどんな高価な品物にも代えがたい彼からの貴重な贈り物である。
 彼が早すぎる死を迎えたのはとても残念だが、いたずらに悲しむのはよそうと思う。彼はまだ私の中に生きつづけているからだ。恐らく、一生、「友愛」の絆は断ち切られることはないだろう。ただただ、彼に「ありがとう」と言いたい。

                                                                          菅 靖彦

 

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